「昔、角乗り、今、押尾川」
なんちゃって。材木の町木
場にやがて優勝パレード。
横綱も生まれるよ。
もみあげの青葉城、未来の
横綱騏ノ嵐、金のタマゴ手
島など、なかなか中身の濃
いのが押尾川部屋。親方は
元大関の大麒麟です。
上記は編集者の文
小見出しも編集者
解説
相撲部屋にはそれぞれ熱烈なファンがついてます。この押尾川部屋はそれが良く分かります。
(11)
押尾川部屋
T米びつU騏ノ嵐休場
いくらT暖冬Uだといっても、朝は寒い。1月10日だ。初場所はきのうから始まり、
2日目の朝7時であった。
地下鉄東西線の木場駅でおり、進行方向に向かって4、5分歩く。三ッ目通りの角を、
左に曲がるとすぐに押尾川部屋の前へ出た。
午前7時、そのへんには朝もやが立ちこめている。吐く息が白い。いつものことだが、
2、3分間、部屋の中へ入るのをためらった。ポケットをさぐって、スポーツ新聞の切
り抜きを取り出してみた。
「騏の嵐休場」
「幕内の新鋭、西前頭三枚目の騏ノ嵐(21)=本名・石山和敏、押尾川部屋、北海道出
身=が初場所(9日初日・蔵前国技館)を休場することが決まった」
騏ノ嵐は二所ノ関一門の連合げいこの鳳凰戦で左ひざを痛めてしまったのだ。
若くて、強くて、将来T大相撲の米びつUといわれてる騏ノ嵐。
「騏ノ嵐のいない押尾川部屋なんて・・・」
と、他のこの部屋のお相撲さんには申しわけないけど、正直なところ、こんな気持がする。
正直はいいことなんだ。
部屋の周囲でふたりの若いお相撲さんがランニングをしていた。はだかにまわしをつけ
ただけだが、お相撲さん、ちっとも寒そうじゃないんだな。私の部厚い完全防寒装備みた
いなコートを着込んだ姿が、自分ながら不思議な気がしてきた。
「まわしって温かいものですよ。あれを締めてると、寒い朝でもなんでもありません」
と、昔のお相撲さんが話しているのを、何かの本で読んだことがあったっけ。
明るくて気持のいい部屋の内部だ。玄関もさっぱりときれいで水を打った跡がある。
寒い戸外から急に熱気のこもる上がり座敷へ来たせいか、目がショボショボする。
若飛燕クン絵になるよ
7時20分ごろ、すばらしい体格をした人が上がり座敷へすわった。気後れしながらも、
私はその人に話しかけ、世話人の乾竜さんだ、ということがわかった。元十両で、昭和
50年のT押尾川騒動Uの時、元大関大麒麟の押尾川親方や青葉城といっしょに、二所ノ
関部屋を離れた人。いわば押尾川部屋を創設した時からのT生え抜きUのひとりであっ
た。
押尾川部屋は、二所の関部屋から独立して、東京・上野の谷中にある瑞輪寺に仮住ま
いした。今から8年前のこと。それから1年、51年9月5日に現在のところに押尾川部屋
が道場開きをした。その時は輪島が横綱土俵入りをやり、
青葉城が太刀持ちをやったそうだ。 道場開き当時は幕内青葉城以下十数人の力士数だっ
たが、今は親方以下40人ぐらい。
騏ノ嵐なんて将来の横綱・大関たいこ判というT金のタマゴUを抱えている。
さて、8時、窓にさす日ざしもだいぶ明るくなった。土俵は幕下のお相撲さんが中心だ。
手島、駿河岩、葉隠山、佐賀昇、吉田山、押ノ岩、恵那桜なんていう若手のホープたちが
ぶつかり合っている。
精かんなつら構え、ゼイ肉のない引き締まった体の手島はすでに有望力士として、ファ
ンの間では有名だ。もうひとり、浅黒いはだで、りりしいマスクのひとりが目についた。
絵になるお相撲さんだ。
「あれ、なんていうんですか」
と乾竜さんにそっときくと
「若飛燕」
ということだった。スピード感のあるいいしこ名だな。
「年はいくつですか」
と、また乾竜さんにきくと、急に彼の方へ向き直り、大きな声を出した。
「おまえ、いまいくつだ?」
「21ス」
若飛燕クンが少しけげんな顔で答えた。ちょっときまりがわるかった。
材木の町パレード期待
8時30分を回ったころ、幕内の
青葉城
が現れた。テレビでおなじみの濃いもみあげ、
胸毛、ひぐまのようにたけだけしくて、立派で、存在感十分の姿で、座敷のへりにどっ
かと腰をおろした。
彼のところへ、ひしゃくに水をくんで若い者が次から次へと持ってくる。5、6人も
来ただろうか。
青葉城はそのたびに水をぷっと吹いては、今日二日目の取組表に目を落とす。青葉城
には大関隆の里。まるで岩のように動かない。
岩がゆらぐように青葉城が立ち上がって、鉄砲柱に向かって打ち始める。
「オーシ、オーシ」
カメラをかついだ男女ふたりの若者が上がり座敷に現れた。女性の方はニコンの300
ミリの望遠を持っている。
彼女はだれだろう?
若いお相撲さんにきいてみた。
押尾川部屋のマスコット的存在だそうだ。その名は小沢
よし美さん
。学生さんで、ここ2年間というもの、押尾川部屋の力士の表情を撮りつづけ
ているという。
彼女のいれ込み方もすごいが、そんな熱烈ファンがいるということも押尾川部屋にそれ
だけ魅力のある力士が多いということだろう。
9時半ごろ、若いお相撲さんたちは、髪を結い直し、きものに着替えて蔵前国技館の本
場所に出かけていく。そのころ、青葉城はドロ着をぬぎ捨てて土俵におり、若い者に胸を
貸し始めた。場所中の軽いトレーニングだ。
「しこ踏まなきゃ、肉つかないよ、なあーッ」
なんて、青葉城がけいこつけながら、若い者にいってる。あたたかいものを感じさせる
言い方だ。
10時ごろ、けいこが終わった。乾竜さんや青葉城関にあいさつして外へ出る。
江東区木場二丁目がこの部屋の場所。木場といえば、江戸の昔から材木で有名なところ。
ただ貯木場は東京港の方へ移転した。その関係でこのへん一帯には、材木問屋のビルが立
ち並んでいる。
材木の町に、優勝力士のパレードがやってくるのはいつだろうか・・・。