新国技館が開場するあかつきには、
この部屋のお相撲さんたちは最も
通勤に便利198センチの北尾に
160センチの私が話しかけた。
将来部屋のいや相撲協会の゛米びつ
Uになる人。新国技館開場の60年
初場所、北尾クン、外車ですーっと
場所入りかな。

解説
ここの文章も、結構編集者の知識で
かなり原文を変えられたように記憶
していますが、必要な物と考え載せ
ます。回向院では<鼠小僧じろきち
の墓があって、私はそれの事を書い
たと思ったのですが削られています
ね。北尾=<クン>=なんか私は書か
なかったと思うのですが・・・
立浪部屋

テレビと違う北尾の顔

 国鉄・総武線が広い隅田川の鉄橋を渡り終わると両国駅だ。ホームに立ち、浅草橋寄りの改札口へ
降りようとして、左側の方に目をうつす。両国の町が広がっているが、そのわりあい広い小路の路上
でお相撲さんがよいしょ、よいしょとしこを踏んでいるのが見えた。
「あのしこを踏んでいる左側の大きな家が立浪部屋なんだな」と、わかった。
 玄関のとびらは開いていて、すっと入ると上がり座敷に
元関脇安念山の立浪親方がすわっている。
 たび重なる取材で、相撲部屋なんていうものにもだんだん慣れてきた。あらかじめ電話をかけてお
いたので、親方にもちょっとあいさつして、自分もどっかとアグラをかいて、土俵に目をやった。
 十両の
岩波とか翠竜とかは、秋の巡業にいって、ここにはいない。だけど、幕下の゛米びつU北尾
はいた。
 
北尾は198センチ135キロ。テレビの有望力士紹介で見た時より実際に当たると大きくて、太い
んだな。それにテレビで見せた笑い顔とは全く違う緊張した表情でけいこに打ち込んでいる。
えらいよ、さすがにプロのお相撲さんだな。
 もう彼ひとりで40番以上も取っただろうか。投げはほんの一、二番でたいていは、つり、押しだ。
投げは「思わずやってしまった」というように見えた。
 相手になる力士たちも180センチ前後の大男ばかりだが、北尾に比べると、なんと小さく見えるこ
とだろう。


三羽ガラスと四天王がいた

 ひと息入れてる北尾の話をきこうと、立ち上がって廊下の端から声をかけた。
「すごいスね。何十番も取るんですね」
 最初の質問てのは、どうしてこんなにアホくさいのか、と自嘲したくなった。
 北尾ジャイアントは、160センチの小人の方をチラっと横目で見ながら、
「すごくないスよ、普通でしょ」といった。
 視力が弱いのかな、目を細くして、にらむような目が鋭い。いい放った声は小
さいが、力がこもっていた。 そばにいた彼の同僚のひとりがいう。
「いやぁ、やっぱり大きいスネ。すごい圧力ですよ」 
 けいこが終わり、しこを踏んでいる。 北尾がここでも率先して声を出している。
何だか怒っているみたいな声。彼の声が部屋中に響きわたっている。
 外から見るのとは違い、
ドーム型の白い、広い天井がとても明るくてステキだ。
照明設備も完備しており現代風の美しさもある。
 さて、この立浪部屋、古くからの相撲通の話しをきくと、伝統のある立派な部屋
なのだ
。昭和10年代には、69連勝の双葉山、豪力の羽黒山、怒り金時の名寄岩
なんていうスゴイ横綱、大関がこの部屋にたむろしてた。部屋の位置は、この双葉
山がいた時といまも変わらないということだ。
 戦後の30年代だって、
若羽黒、北の洋、時津山、安念山のT立浪四天王Uが栃
錦、若乃花、千代の山、柏戸、大鵬なんかの横綱陣に食い込んで
、旋風を巻き起こ
した。 近くはつりの若浪、゛相撲博士Uの旭国など、個性的な相撲取りがいてフ
ァンを喜ばせた。 ところが、今はどうだ。57年秋場所の星取表を見ると、東十
両十二枚目の岩波が5勝10敗、同西十枚目の翠竜が5勝7敗3休、次の九州場所
(11月14日初日・福岡国際センター)には十枚目以上のお関取がこの部屋から
姿を消しちゃうじゃないか。
 いよいよ、北尾クンの責任は重大ですよ。この部屋を背負って立ってくれよ。
 こんなこと考えながら、立浪部屋をあとにした。


外車で場所入りするか

 両国駅の南側は゛相撲の町Uともいえるくらい、相撲部屋が多く、あとは商店、
飲食店、飲み屋、喫茶店、料亭などのにぎやかな町だ。しかし、北側は国鉄ハイ
ウェーバスのターミナル、中央卸売市場、公会堂、日大一高、都立両国高、
震災
記念堂
など、緑と広い敷地の公共施設が多い。
 その北側の
操車場跡に昭和60年初場所時開場予定の「新国技館」が建設される。
そうすると、この
立浪部屋のお相撲さんたちは、最も近くて通勤に便利ということ
になるんだな。長くひとつところに住んでると、必ずいつかは「いいこと」がある
んだよな。 そのころ、北尾クンはこの部屋のいや相撲協会の゛米びつUになって、
肩で、いや外車で風切って「新国技館」の門をすーっと入っていくようになってい
るんだろうか。ぜひそうなってもらいたいもんだ。この日けいこを見た印象では、
北尾クン、燃えてるらしい。
 ところで、この立浪部屋の前の道を南へいくと、昔の国技館が見える大通りへ出
る。その国技館の裏に
回向院というお寺があり、そこの境内で江戸時代に相撲の興
をやっているときいていた。
 そこで、本紙の臨時増刊「古今大相撲辞典」をみると、その中に「本誌制定・宝
暦以降219年間541場所の優勝力士詳細一覧表」というのがある。それを見て
いくと、「天保4年11月」のところに、「この場所より回向院が定場所となる」
と書いてある。
 そうしてみると、相撲と両国とのつながりは、天保4年(1833)以来149年
ということになる。
 ずいぶん古いんだな。相撲をやる場所も戦後、神宮外苑、浜町、蔵前となり、蔵
前国技館に長いこと定着していたが、60年には両国に帰ってくる。立浪部屋の全
盛期、昭和10年代は「両国国技館」の時代。双葉山、羽黒山、名寄岩のいたころ
だ。「両国に帰る国技館」− それにつれて、立浪部屋も昔のようになるだろうか。
北尾クンを先頭にして・・。
こんなことを考えながら、雨の降る両国の町を歩いた。

  1982..12記池田雅彦